終戦日、前日に思う
私が人より少しだけ”軍事学”を学ぼうと思ったのには理由があります。
それは高校の時に旅行に行った沖縄の「ひめゆりの塔」にあります。
当初は、こんな辛気くさい所に行くのが嫌々でたまりませんでした。
しかし、それも展示を見るまででした。
「17歳少女 青酸カリ自殺」「16歳少女 手榴弾自殺」
そこに飾られた遺影とその一言一句は当時同じ年代である自分にはあまりにも衝撃的でした。
何故?何故自殺なのか?これは"戦争"じゃないのか?
いったい、そこまで追い込んだ”戦争”とは何だったのか?
それを考えるようになってから、我流で"軍事学"を学ぶようになりました。
日本の軍事の知識者問題
日本で軍事学(防衛学)を教えるのは防衛大学くらいである。また日本は軍事に対する知識者が少ない。
それは、今までそういった者の存在を右翼と論じ疎んじきたからである。(そのため職として成り立たなかった)
そいうった"風潮"のために日本では、世界の軍事の常識からかけ離れた論議をすることが多い。
それにより多くの国民は間違った知識を植えつけられる。(政府がそれえを悪用してる感もあるが…)
日本にも官の研究機関だけではなく、民間の軍事研究機関を創ることが重要ですね。
国の研究機関は基本的に政府の論調と合致させようとしますから。